とはいえ、言語が違うから仲良くなれない、というのは少し短絡的な気もする。言語だけの問題ではなくて、社会的な慣習とか、そういった文化的なものなのか。
Outliersに出てくる例ですが、コリアン・エアーで飛行機事故が多発していて、それがある時をきっかけにピタリと止まったという背景には、韓国の上下社会の慣習と言語表現があるのでは、という推理がされていました。
キャプテンが上位者でコパイロットが部下である場合、また整備士や技師がすべて格下である場合、キャプテンに対する会話の仕方がすべて婉曲で、誰も何もハッキリ言えない。それが悪条件が重なって着陸が困難な状況で関係者が協力するのを(うまくコミュニケーションを取るのを)妨げていた、ということらしいです。
パイロットのためのトレーニングチームが変わり、上司に対してもハッキリと発言する訓練をし、コックピットの中の会話を全て英語にしたことで(英語の特訓も込み)、事故がガクッと減った。
これは社会の構造、言語、コミュニケーションと人間関係、そしてそこから生み出されるアウトプットに関して、かなり示唆を与えているのではないかと。
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