April 17, 2010

ハルキ

最近ブログをサボっています。どうも済みません。

本当にどうでも良い話なのですが、わたしは村上春樹が嫌いです。って以前にもブログに書いた気がします。でもそれ程興味が持てない作家が他にもいないわけではなく、別にどうってことも無いのですが、これだけ話題になっている(ように見える)と、「なんでなの?わたしは嫌いなのに?」と思わざるを得ないんですね。

海外の友達と話すと、日本人の文化人ということで大抵「村上春樹は読んだことがある」という流れになります。大抵の場合、とても良かったということを言われます。普通はそこで終わりなのですが、最近来日した友人に「なぜ嫌いなのか?もう一度読んでみたらどうか?」と散々突っ込まれました。流石にそこまで言われて、その良さが分からない自分に非があるのかと思ってしまったりします。

「村上春樹が嫌い」とGoogleで検索すると、同じような意見の方がそれは沢山出てきて、ある新聞の調査結果を引用している方によると、回答者のうちほぼ50%が作品を読んだことがあって、そのうち半分は「嫌い」と答えているとのこと。意外と多いじゃないですか。嫌いな理由はそれほどハッキリとはしていませんが、要約すると「中身が無い」。好きな理由は「上手く説明できない」というのが多いようなのが笑えます。傾向的には、普段あまり本(特に小説)を読まない人が村上春樹を読んで「少し知的に感じる」というところなのではないかと思います。(ただ、例外もあるというのが難しいところ)

わたしがひとつ言いたいことは、皆が良いと言っていようが売れていようが、自分が好きか嫌いかは自分で判断して欲しいということです。それを相手に伝えたからといって、相手の人格を否定しているわけではありません。本に限らず、映画でも人でも建築でも同じです。

建築にしても、文学にしても、そして私には良く分からないけど音楽にしても、批評するということは誰にでも出来るものではなくて、非常に難しい作業なのだと思います。批評できるだけのリテラシーを付けることが、義務教育や大学の教養課程の役目だと思う。こういった教育にはやはり、テレビではなくて読書や良い作品に触れて議論すること。こうして、文化が発展するのではないか。とも思うのですが、それは西洋的な文化に限った話なのかもしれません。

ちなみに、ハリーポッターもガルシア・マルケスも、非常な設定において人間の感情や行動はとても人間的であり日常的であり、そこにユーモアやコメディがある、というところに惹かれます。面白いと思う小説は殆どこのパターンです。そして、それが文学というものなのではないかと思うのです。
村上春樹はその間逆な故に、興味が持てないのです。

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